この1月3日に今年の入館者が25万人に達した。その節目に訪れたのは子供を連れた若い夫婦と、そのご両親と云う新春にふさわしい温かい雰囲気の家族だった。
例年以上の寒さと雪が災いしているが、このまま3月末まで順調に経過すれば27万人に達しようとする程の勢いが続いている。
取材に来ていた新聞社やテレビ局に、「今の感想は?」と聞かれたがこれもとても一言では気持ちを語ることは出来ない。長い苦しい時代が有ってクラゲに出会って何とか立て直すことが出来て今が有るのは間違いない。
一番入館者が少ない年は9万人まで落ち込んだから、25万人という数字は目標にすらできなかった雲の上のと言えばいいのか、幻のまた幻のと言えばいいのかとにかく不可能な数字であった。
とうとうその天井を突き破ったことになる。
今年そこまで伸ばせたその源は、ギネスにクラゲの展示種類数が世界一であると認定されたことだったが、ギネスに申請できたのも11年前に鶴岡市に買い戻されてからの躍進が有ったればこそだったと思う。
普通ならこうだろう。市が民間から買収した施設が有ったとしたら、市の制度に精通した者を送り込んでトップに据えて、法令と条例と、先例などにきちんと従った経営をさせようとする。
市の制度はお金を稼ぐという経営を前提としていない。家計簿のように入ってくる金が決まっていて、それをいかに使うかという事から成り立っている。そのまま現場に当てはめたら仕事はうまく回らなくなり、時間が掛かり活力は失われてしまう。この辺の事は今更云う必要もなくどなたも知っていることだ。
しかし11年前買い取られてみたら誰も送り込まれず、館長はじめそれまでの職員をそのまま同じように仕事をさせてくれた。中で働く者は長い民間時代の感覚そのままに「結果を最大の目標に」して頑張ることが出来た。
市長は私に「村上はん(さん)、誰の言う事も聞かなくてもいい。水族館の利益は誰にも使うなと言ってある。自分の思うようにやっても良いぞ」と言ってくれた。
この言葉は重い。トップがお前の考えで自由に仕事をしろ!と言ってくれるなんて民間だってそうは無い事だ、何が嬉しいたって心底信用されること程男を震え立たせる言葉はない。
市長は平成4年に秋篠宮さまが来館されると決まった時も、「あちこち直すのに金が要るだろう」と、改築資金の一部を援助してくれたり、クラゲに特化する際も貧乏で職員を増やすことが出来なかった私に、人件費を補助してくれたりといつも心からの配慮をしてくれた。
そして平成14年とうとう老朽、弱小、貧乏水族館を市に買い戻してくれた。この決断だって財政難の中当然反対の声が有ったであろう。ご本人も多くの逡巡が有っての末だったろう。こんな経過が有ってその上での有り難い言葉だった。「市長を困らせるわけには行かない、皆で頑張って実績を上げよう」と声を掛け合って努力してきた。
人の動かし方も多くの方法が有る。今テレビをにぎわしている大阪の何とかという高校では体罰で指導して問題を起こしたが、本当は信用されること程大きな効果を生むことは無いと思う。引退してもう3年以上になるがときには電話をくれることが有る。
「村上はん、又新聞さ出っだけぞ。」ここの職員を今なお心にとめていてくれる様だ。報道陣の質問を受けてこんな事を思い出した、あの市長だけではない多くの人の支えが有っての25万人達成だった。