タイトルにあるように今日は少し骨っぽい話をしよう。去年の5月だった。秋田県横手市の村岡さんと言う動物病院の方が訪ねて来て、ここの取り組みを自分のところで話してくれないかと頼まれた。本当はこの頃遠出が億劫になっていてまずは県内、遠くても車で2時間圏内に限定して引き受けようと決めていたのだが。
しかし世の中決めたからと言ってそのまま押し通せないことも有る。それが浮世の習いと言うべきかもしれない。この時も先立つこと2か月前に断りきれないような有名人からメールが届いていた。
それは今をときめく旭山動物園の前の園長小菅正夫氏からのメールだった。村岡さんは小菅さんの友人であるらしく頼りにされたのであろう。夏休み公開講座「どうぶつのお医者さん」と言うタイトルで、内容は任せる釣りの話でも鉄砲うちの話でもいいから頼む、、、と書いてあった。
小菅さんはもう国民的な有名人である。ゴリラが死におおくの困難な出来事が入園者の減少につながり、閉園を覚悟するまでになった所から職員のアイデアを実現させて、年間307万人もの入園者を呼び上野動物園を抜いて日本一繁盛する旭山動物園を築き上げたいい男だった。
彼には一度お願いして鶴岡市で講演して頂いたことがあった。この時の頼みは今でもよく覚えている電話での私のお願いを聞くや「あなたの頼みだったら行くよ、2月は忙しいから私の日程に合わせてくれよ」とこれだけが返事だった。
人様から何か頼まれたら勿体などつけずに「わかった日程が合えば行きます」と答えるのが礼儀だとその時の対応から教えられた。
義理のある方からの頼みと有れば、新しい水族館が建設中であろうが無かろうが「わかった行きましょう」と答える以外に道はない。そして5月に動物病院の村岡さんが訪ねて来てくれたと言うわけである。
そして7月29日小菅さんと二人で1時間半ずつ講演をした。話題の二人が首を並べて講演をするというのはそう簡単にはできないことだ。村岡さんの計らいで実に面白い企画が実現した。
私も興味があったが小菅さんの講演は彼らしい素晴らしいものだった。勝てなくとも絶対に負けない修業をした、、、、と言う北海道大学時に熱中した柔道の話が中心だった。面白かったしさすがだなと思って聞いたが、うーんと考えさせられたのは別の場面での出来事だった、
ここで横手市での話はひとまず横に置くとして、男の勲章とはいったいどんな事を言うのかに移ることにする。長い間気になっていたし自分なりにはやはり実績だろう、大きな納得ゆく業績が男の勲章ではないかと思っていた。
振り返ってそれらしいものを拾い上げればいくつかは見える。昭和47年の年末に倒産して金がまったくない中で春まで生き物を面倒見たこともその一つにあげられるだろう。
大きな借金や上司からの無理難題ともいえるプレッシャーに耐えて無事鶴岡市に経営を引き継いで頂いたことも業績に上げられる。その後の見事な入館者の増加は日本中に認められるまでに広まった。
ノーベル化学賞を受賞された下村修先生を加茂水族館にお迎えできたことや、ギネスにクラゲの展示種数が世界一だと認定されたことだってこの業界では初の快挙だった。
引退がまじかに迫ったこの時に鶴岡市には新しい水族館まで建設して頂いた。幸せ者だなーと思わずには居れなかった。皆業績だと言えば言えるものだと思う。
しかし本当に男の勲章とはこんなに恰好いいものなのか、もっとドロドロとした生臭いものでは無いのか、人知れず影のように目立たないものではないか、そんな思いを抱いていたことも事実である。
話は秋田県横手市での講演に戻るが、小菅さんと立ち話をしているときに彼の口から出たたった一言が、私の考えの甘さを気付かせてくれた。それは「私は2度始末書を書かされた」と言う意外な言葉だった。
国民的な英雄と評される程に大きな実績を上げた男の中の男が、旭山市役所では表彰されるどころか評価されないか大きくはみ出した部分があったという事を意味している。何が始末書に結び付いたのかは聞かないでしまった。
しかし思うに業績を上げようとすればする程に市の制度が大きく立ちはだかったのだろう、彼だって市の職員だったから制度に従うのが務めなのはよく承知していたはずである。
多くの人がそうするように、「分かりました面倒で時間のかかる制度に従って手続きをして、会議を開いてハンコをもらって進めます、、、」と言えば身は安全だが、あれだけの業績を残すことは不可能なはずだ。この辺の事情は今市の一角に居て似たような環境にある私にも良く理解できる。
閉園寸前の、まさに風前の灯だった旭山動物園を生き返らせるためには、利口で言われたことを実行する真面目な男ではだめなのである。不可能を可能にするために彼は体を張って、絶対に負けない仕事を進めたのだろうと想像できる。多くの上司と衝突したり条例や規則を承知で破ったのであろう、「本当の男の勲章とはこの始末書」の事を言うのではないか。
俺はまだまだだなと思い知らされた。