この冬もブドウつるの籠を1つほぼ完成させた、あとは持ち手を付ければ完成なので本当はいつでも取り掛かれるのだが、しかしこの度編んだのは女性用ではなく自分で使ってみたいと思ったので、男用だからここからが工夫のいるところだ。
籠に男用も、女性用もないようなものだがしかし、何処かに変化を持たせて男が持っても様になる様に作りたいのだ。
いつも使っている木型に幅だけを5cm増して、厚みは増さずにスマートな感じを出して編んでみた、完成はしたがこれだけではどう見ても女性用と差が出ない、
結局持ち手で差をつけるほかないと思い至った、ビニールではせっかくの籠の味わいが死んでしまう、何か木の皮でも使って縄状の長い紐を体裁よく付ければ、ブドウの皮とマッチして違和感がなく持ち歩けるのではないか。
木の皮で縄を、、、、と言っても材料は手元にないから、山に行って採取してこなければならない、適した木は「ウリハダカエデ」か「シナノキ」が良い、子供の頃に我が家で蓑(みの)や荷(に)縄(なわ)の材料として使われていたのを思い出したのだ。
6月ごろに皮を剥いできて「赤さびの出ている湧水に浸ける」こうすることで色が茶に変わり強さが増す、それまで3~4か月あるが思いを巡らせながら待つほかない。
私の籠編みの歴史は結構長くなった、多分昭和45年ごろが始まりだったと思う、イワナ釣りを覚えて夢中になり寝ても覚めても頭はイワナ釣りのことばかり、自分はイワナ釣りをするためにこの世に生を受けたのではないか、、、、と思うほども釣りにのめりこんでいた。
山に入るたびに思ったのは釣具屋で買った出来合いの魚(び)籠(く)ではなく、アケビの蔓で編んだ自分だけの格好いい腰魚(こしび)籠(く)が欲しかった、やはり趣味と言うものは思いが膨らめば止めどもなくそれこそ願いが適うまで突き進んでしまうものらしい、近くにアケビ籠を上手に編む老人がいたのでさっそく山から蔓を取ってきて腰魚籠の製作を依頼した。
できたと言うので「あら嬉しや」と吹っ飛んで行ってみたら、これが思いとはかけ離れたただの手(て)籠(んご)であった、私が夢に描いた魚籠とは似つかぬ代物だった、釣りをしない方だったから仕方がないと言えばそうだががっかりさせられた。
こうなれば自分で編むほかなかった、教えてくれる人も教科書もなくいきなり編み始めたが旨くゆくはずがなく、籠とは言えないようなものが出来上がった。
しかし自分にも籠が編めたと言うことがうれしかった、でこぼこにゆがんだ小さな籠を腰に縛り付けてイワナ釣りをした、これが始まりだった少しずつ編み方が分かっていって、腰にぴったりくる魚籠が編めるようになった。
アケビの蔓は11月以降に山に入って取ってくる、木に絡んだものは使えないので、地上を這って直線的に長く伸びたものだけが材料になる、2~3か月伸ばしたまま乾燥させてその後太さを3段階ぐらいに分けて枝や細かい根を取り去る。
これを気が向いたときに取り出して水に浸けて柔らかくして編んでいた、大きいのは幅が60cmもあるのも作ったし、皮をむいて中の芯だけで編んだ逸品もある、腰魚籠だけではない今ではどんな物でも思いのままに編むことが出来るようになった。
アケビの籠作りが上手になるにつけていつか編んでみたいと思うようになったのが、今やっている山ブドウの木の皮で編む籠であった、もう30年も前になるが大井沢に上手な人が居ると聞いて編むさまを見に行ったことも有った。
70歳はとうに過ぎたかと思えるお爺さんとお婆さんが囲炉裏のそばで編んでいた、見ていると実に簡単にきれいに編み上げていた、しかし自分でやってみると難しいことこの上ない、やればやるほど難しさが見えてきた。
まず材料のぶどうの木の皮が手に入らない、売ってもいないし自分で山に入って取るほかないのだ、見事にするすると皮が剥がれるのは6月から7月にかけてのわずかな期間だけで、山に入ればいつでも、、、、という訳にはゆかない。
また木に絡んで成長しているのでほとんどが曲がりくねっていて、真っ直ぐな良い材料が取れるのはほんのわずかな部分だけだった、こぶや穴もあるし捻じれてもいる、えらいものに手を出してしまったようだと気が付いたが、しかし難しいからのめりこんだと言えるかもしれない。
物産館などで販売しているのを見ると「同じ人間がなぜこんなに上手に完璧に編むことが出来るのか」、ただ見とれて感心するほかない、3万円だの5万円だのと良い根が付いているが、私に言わせれば倍の値段でもまだ安く思える、それほど手がかかっているし芸術と言っていいほどの見事な技術が込められているのだ。
今年はこの一つで終わるが、また蔓とりから始めて挑戦してみよう、あの日に見た物産館の作品に引けを取らないような、自分でもいいなーと思える籠を編みたいものと願っている。