春が来たようだ。結構積もっていた庭の雪も8割がた融けて水仙の芽が少し伸びてきた。
隠居の身に初めての冬は長かった、雪の中を移動するのが嫌になって講演も断り、暇を持て余す日々が際限なくつづくと暗い雪雲と寒さの季節が恨めしくなった。
ここに来てついにそれも過ぎ去ったようだ、3月も二度目の日曜日になり今日は陽が射し風もなく、朝の散歩も知らず知らずに遠出してしまった、青空の下で陽を浴びるのは久しぶりだった、こんな年になっても心がうきうきしたのだろう、庄内平野を見下ろしながらいつの間にか「いいなーこの眺めは」と口に出ていた。
去年の今頃はまだ現役の館長をしていたなど自分のことながら信じられない思いがする、もう10年も15年も前に過ぎ去った遠い昔の出来事のように感じる、誰しも退職とともに抱く感情なのだろうかしかし、たった1年でなぜそんな気になるのかいくら考えてもわからない。
去年の3月10日だったと思うが世界各地の主だった水族館に声をかけて、クラゲの飼育担当者を呼んで「国際クラゲ会議」を開いた、身の程知らずだな、、、と思ったが心意気だけでのめりこみ準備に半年もかけて実行した。
大きな成果は残したが、オープンの年だったから唯でさえ目が回る様に忙しかった中、職員には余計な仕事を増やし苦労させてしまったと思って居る、そしてあれを置き土産に引退したのだがもう1年も経過しようとしている。
今日の散歩はほぼ8kmも歩いてしまった、その道中に1年も前の自分が甦ってきたのだ、職員の温かい拍手に送られて建物をあとにし長年苦楽を共にした奥泉副館長に後を託して身を引くことが出来たのだから、幸せを絵にかいたような幕引きが出来た。
あのあわただしかった1年前に比べればこの静けさはまるで別世界に迷い込んだような心地がする、もしかしてこの世に極楽浄土が有るとすればこれかも知れない、多少のごたごたは有るが大したことはないし静かに年を重ねられそうだ。
長い散歩の後「のこぎりと剪定ばさみ」腰に下げて裏庭に出てスモモとプルーンの剪定をした、庭のあちこちに植えたのを数えれば20本あり皆種類が違う、木に登り1年の間に伸びた枝を切り丸坊主にしてゆく。
特に勉強した訳でも教えを受けた訳でもない、我流でただ日当たりをよくすることだけを考えて枝を切ってゆく、30年前に植えて大木に育ったのも有れば8年目の若木もあるが皆実をつける。
結構はかどったのであと1日あれば選定は終わるだろう、次の仕事は硫黄合剤での消毒が待っている、そして4月に入れば接ぎ木もする、7~8月の収穫まで消毒をさらに3~4回はする。
木が多いので成る実の数はとても数えきれない、しかし情けないことに収穫できる数は微々たるものだ去年の実績では30個ほどしかなかった、もぎとってきて近所の孫たちも呼んでじいちゃんの苦労の収穫を「サー皆で食べてくれ」と言っても誰も手を出さない、 スモモなど魅力が無いらしい。
サクランボか桃でも植えれば喜ばれたかもしれないが、自分が気に入って選んだ木だし今更植え替えも出来ない、張り合いはないがまあこれも極楽のうちと思って頑張ればボケ防止になるだろう。
2016,3,13