6月の16日に月山を超えて山形市に講演のために行ってきた、山形市には講演のためによくゆくが、112号の湯殿山入口近くでいつも思い出すことが有った、今日は思い切って車を止めて標識を入れて写真を撮ってきた。
気になっていたのは「八紘沢」の標識だが、湯殿山を通って流れてくる梵字川の橋を過ぎると目立たないがこの沢が有る、やく1km下流で梵字川に合流する小さな沢でここにイワナが居る。
水族館に勤め始めて3年目ごろだったか5年目だったかもう定かではないが、あの小さな水族館の3階には淡水魚が展示されていてニジマスがいた、ニジマスではどうも様にならないどこかからイワナでも釣ってきて展示したいものだ思ったが、当時はまだどこにもイワナの養殖場が無かったので手軽に分けてもらうことは出来なかったのだ。
※山形市に向かう途中の寒河江サービスエリアでは、いつも「キツネ蕎麦におにぎり」を食べることにしている,脂と肉がダメなわがまま隠居にはこれが一番のごちそうだ。
私もどこに行けばイワナが居るのかも知らず、確か鶴岡駅の近くだったと思うが高橋さんと言う骨とう品などを販売していた方がイワナ釣りに詳しいと聞いて場所をうかがいに行ってみた。
そこで教えられたのが湯殿山の手前八紘沢だった、行者姿で歩いて登っていたころだから昭和の30年代ごろまでだったろうか、八紘沢を渡ったあたりに湯殿山の参詣者を相手にしていた「茶店の笹小屋」があった。
もちろん112号ではなく旧道のことだが「笹小屋跡からブナを切り出した林道跡が続いている、しばらく行くと3本の小沢が八紘沢に合流する、そこにイワナが居るから釣れ、、、、」と。
※ 深い緑がきれいな月山道だった、ここが気になる八紘沢で通るたびにまたイワナを釣って見たいなーと思うが、、あっという間に通り過ぎてしまう。
もう少し近いところを教えてくれれば良いようなものだったが、なぜかずいぶん遠くの沢を教えられた、当時はもちろん112号線もなく60里越え街道と呼ばれた砂利道だった。
田麦股を過ぎて湯殿山に近くなると、それこそ断崖絶壁を見下しながらガードレールもない狭い曲がりくねった山道を行かねばならなかった、今も旧道が残っていてほとんど昔と同じブナのトンネルのような素晴らしい道が続いているが、危なかった断崖は少し拡げられてガードレールもつけられてそんなに危険を感じることはなくなった。
あんな狭く危ない道をよくぞ庄内交通のバスが通っていたものと思う、釣れたのはせいぜい5~6匹のお世辞にも良い型とは言えないサイズだった、この時のイワナが加茂水族館で初めての展示だった。
その後イワナ釣りが好きになり寝る間も詰めて夢中になっていったが、笹小屋跡から続く林道跡を行きどまりの「西錨沢」まで行って、さらに1時間半かけて沢をのぼりつめて尾根を越えて陰の「小沢」に行ってずいぶんイワナを釣った。
人がゆかない小沢には想像を超えるイワナが生息していて面白かった、二人で釣った岩魚を10㎏づつ背負って尾根を越えて西錨沢に戻ってきたときには日が暮れていたことも有った。
暗くなった沢にはイワナが石の下から出てひょろひょろと泳ぎ回っていた、背中の10kgのイワナを忘れて追い回し手つかみにしようとした、ドジョウの様にぬるぬるで素手では意外とつかめなくやっと2~3匹もつかんで腰を伸ばしたら、周りは夜の暗闇が迫って真っ暗だった、あの時はひどい目にあった。
笹小屋まで出るには沢を下り林道跡に出てまだ1時間以上も歩かねばならなかった、明かりらしきものは何も持ってはいなく、足探り手さぐりしながら真っ暗闇の沢を下ってやっと林道に出て死ぬ思いで60里越え街道までたどり着いた。
もう駄目かと思ったあの日のことは今ではいい思い出になっている、同じ道をたどってその後も何度か小沢に行った、沢のそばで野営したことも有ったし腹が減って疲れ果て1gの物も持ち上げられなくなったことも有った。
ちょっとした渕に何十匹かのイワナの群れが泳いでいるのを見て我を忘れて釣ったが、いくら釣っても逃げもしないし数も減らず気味が悪くなったことも有った、八紘沢の標識を見ると若く血気盛んな頃を思い出す。