6月27日と29日に山ブドウの皮を採りに行ってきた、これが何と思いもよらない重労働だった、今では山奥の集落も若者が出て行き人口が減ってしまった、自分で皮を採ってきて籠を編んでいる人はごく少数に限られている。
山ブドウの籠は、物産館や山手のドライブインなどで販売されているのを見ると、見とれるほどに素晴らしい出来栄えはともかく、何と値段の高い事か自分が編むまではいつもそう思ってみていた、しかしいざやってみるととてもとても3万円や5万円では売ることが出来ないほども価値のあるものに思えてきた。
朝日村の名川に住む斉藤健一さんと言う友人が「館長今がちょうどいい時期だぞ」と教えてくれた、木や蔓の皮を剥ぐのはいつでも、、、、という訳にはゆかない、1年の間に適期と言うものが有ってせいぜい2週間ぐらいなものだろう。
※ 木に登る斉藤さん、太い蔓は左下から一直線に伸びて高い枝に絡んでいた。
その時期を外せば剥がれなくなる、その日のために杉の木の枝打ちに使う携帯用の4m梯子もネットで買った、新品の鋸や、皮剥ぎ用のノミ、4mの柄のついた高枝切のノコギリや、カッターナイフに剪定ばさみをそろえ、それらを入れる小さな籠も作った。
こうして道具をそろえることも何だかんだと一冬掛かってしまったがそれも楽しみの一つだ、ぶどうの蔓はからみ付いた木とともに30年50年と成長しているから10mも高い枝に一直線に伸びている、いくらいい蔓でも登って上を切らぬことには皮を剥ぐことは出来ない。子供の頃は両方の足の平で幹を挟んで尺取虫の様にどこまでも登ったものだが、80歳に近くなった今ではそんなことをしたら落ちて怪我をするのがせいぜいだ。
※ このところどこの山にもクマが出ると騒がれているが、斉藤さんの愛犬が居れば安心だ、犬の下に有るのが切り倒したぶどうの蔓で50年は立っている、後姿が斉藤健一さん。
道具をまとめて担ぐと10数キロの重さになる、藪を漕いで結構な距離を歩き不安定な梯子を上って蔓を採ってくるのだから、若い人でもいやになる程疲れ果てること請け合いだ。
朝日の熊さんこと斉藤健一さんの案内で「赤いホンダのジープ」で彼の家から5~6分ほどのところに有る林道をほぼ登りつめて、大木に育った杉や楢、沢クルミの木が群生する一帯で降り立った、目指すブドウの蔓が遠くに見えていた、胸まで生えたシダや芝藪をかき分けてたどり着き、斉藤さんが梯子を組み立てて登ってくれた。
不安定な梯子や木の上でさらに高いところの蔓を、長い柄のついたのこぎりで切るのは容易ではない、難しくも危ない仕事はすべて斉藤さんがやってくれた。
※ 剥ぎとったブドウの皮はまとめておいてあとで1枚ずつ裏返しにして丸めて持ち帰る、こうしないとまた元の丸くなる癖が出て固まってしまう、私の後ろの大木に蔓がしがみついていた。
伐り倒した蔓の荒い上皮を剥ぎさらにその下の皮も剥ぐ、それでやっと目指す本皮が現れるのだ、二人とも汗だくになりながら剥いだ、ブドウのつるは直径が10cmもある、細かな年輪をざっと数えてみたら50は有った。
しがみついた沢クルミの木も大きかった、そっちも恐らく50年以上は立っているのだろう、クルミの木はしがみつかれて迷惑しただろうが、長年共に生きてきた仲を裂いてしまった、ちょっと申し訳ないが勘弁してもらおう。
斉藤さんが言った通りに皮は見事にするすると気持ちがいいぐらいに剥がれた、一人では背負いきれないほどの蔓を斉藤さんがみな背負ってくれた、私より若いと言っても4歳しか違わないいい年のはずだが、何処からあの力が出てくるのか感嘆したくなるほどの体力の持ち主だった。
※ 座布団を二つ置いて発泡スチロールの箱が取り出された、中には氷とゆでたソーメンが入っていた、彼はこうして準備したことを一言も話さなかった、私と二人で食べようとの心憎いまでの配慮には驚かされた。
そして昼も過ぎたしそのまま家に帰るのかと思いきや、山道が広くなったところで車を止めて、地面に座布団を二つ敷き何やら大きな発泡スチロールの箱を取り出し準備を始めた、小さなカップに刻んだシソの葉を入れて黒っぽいたれを注ぎ、缶詰めのシーチキンを入れ唐辛子を振りかけ、最後にゆでたソーメンが取り出された。
ハッポウスチロールの箱には氷が入っていたので汗をかいた体には何とも有り難い配慮だった、人里離れた山の頂で後ろには湧水の流れる瀬音があり、ときおり鳴くウグイスには心が洗われた、斉藤さんはクマも恐れる山男だが大した風流心も持ち合わせていた。
箱のふたをテーブルに山の中で頭が白くなった男二人が食べたソーメンは、どんな料理もかなわない素晴らしい味がした、これぞ見事な男のロマンだな。
都会であくせくと働く者にはこんな楽しみは味わえない、ここで食べたソーメンはたとえ帝国ホテルの料理だとしても足元にも及ばないほど旨かった、しなくても良いことをしてくたびれ果て、家が近いと言うのにわざわざ山の上でソーメンを食べる、こんなのを男のロマンと言うのだろう、この田舎に生まれたことを感謝したい。