慣れない隠居生活も1年と8か月になったが、慣れたようでそうでもなく老境に入るという事は中々辛いものが有る、と言うのは持て余す時間の使い方に結構苦労をすると言う事だ。
体に染みついた仕事人生は一度離れてしまえば、一夜にして朝起きてもすることが無くなる、、、これが今の基本的な自分の姿になってしまう。
※ 籠はまず底を編むことから始まる、不揃いなサイズを組み合わせて旨く木型に合わせる
時々講演を頼まれたり、人が訪ねてきたり、原稿を頼まれたり予定が続くことも有るにはあるのだが、何も予定が無い日も同じく続いてしまう事も有る。
これが意外にもつらいのだ、手持ちぶさたにテレビを見て眠くなれば目を閉じてうたた寝をしても、朝に4km夜に2kmの散歩以外にはもうすることが無い、この地獄から抜け出すために思い付いて8月からブドウ蔓の籠編みを始めてみたら、これが思いがけなく面白かった。
急いで編めば自分の楽しみの時間がその分減る、わざとゆっくりゆっくりと時間を掛けて作業の工程を妄想しながら手間暇をかける、この見事な「こぶの部分」はどこに入れたら格好良くなるのか「曲がった癖のある皮」はどう使うか、時間をつぶして考えてまた編み始める。
この頃凝っている編み方は「乱れ編み」と言うのであろうか、編む材料のサイズを決めずわざと「曲りやこぶ穴」も自然のままを生かして組み合わせてゆく、あちこちに隙間が出来たり不揃いの編み上がりが気になる様にも思うが、自分でも予想しない姿が見えてくると嬉しさがこみあげてくる、意外な組み合わせが良い味になりこの世に二つとない芸術品が出来る。
※ 曲がりくねったものや、こぶに節穴が開いたところ、またうんと幅広の皮を縦横に入れたりして味を出した、縁を編む前に縦の材を細く割いて1本ずつ縄編みにして3段編み上げてから縁を取り付ける。見るほどに面白い味わいが見えてくる。
この間編んだ幅28cm奥行き13cmのも良い味が出ていたが、今度は少し幅を狭く25cmにして奥行を14cmに増して挑戦してみた、1作ごとに腕が上がってゆくのを感じる。
物を作ると言う技は何にもまして経験がものを言うようだ、すべて我流だが工程を写真に記録したので公開したい、物作りのすべてに通ずると思うが、出来上がるまでの過程が何にも代えがたい楽しさが有る。どんな姿に出来上がるのか分からないと言う夢が有るからだ、しかし不思議なことに完成してしまえばあまり執着心が湧かなくなる、これも物作りに共通する感情だろうか。
※ まだまだ素人の域を出てはいないが、なんとなく様になってきたように思う、縁を8の字に編んでほぼ完成した、これに持ち手を付ければ使えるようになる。
2015年春に、引退した記念にプレゼントされたサンルームが思いがけない趣味の作業場になった、今年採った皮は他にもある、材料にまだ余裕が有るのでこの冬も楽しめそうだ。