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夕日を釣りあげた男の人情話その1

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長い間居座っていた水族館の館長を退いてもう2か月が過ぎた、時のすぎるのは本当に早い、この分だと1年後もすぐに来るだろう。

退職のことなど考えることもなく年を取ってしまったが、75歳になるのを機にこの3月で引退することは決まっていた、自由の身になったら何をして過ごしたらいいのかもう1年も前からいつも考えていたのだが、仕事のほかにこれといった特技もなく潰しの効かない我が身だから、ただ大人しくしている他ないなーと情けなく思っていた。

満で75歳にもなった老人だ、毎日が日曜日になり仕事の呪縛から解放されるわけだから、そのままに過ごしたらまもなくボケが始まるだろう、そうならないためには時々緊張する時間が必要なのだ、時間だけは幾らでもあるから病院でもまわって体の不自由な人に本でも読んで聞かせるのもいいなー、しかしそう言う自分が目もかすんで来たし耳もいささか遠くなってしまった、逆にこっちがしてもらいたい年になってしまったのだ。

油戸磯で50センチの黒鯛を釣った。4間の庄内竿で・・・

油戸磯で50センチの黒鯛を釣った。4間の庄内竿で・・・

いろいろ考えたがいざ本番となるといずれも実現性がない、新しく出発するということは結構大変なことだった、そんなところに思いがけない話が飛び込んできた、東京に事務所を持つある知り合いが「館長が退職したらおそらく講演の依頼が多くあるだろう、自分にそのマネイジングをさせてくれないか」「俺さそげ依頼があるものだろうか?」「結構日本各地から声が掛かるはずだ」、、、とおだてられてその気になり、「んだば頼むかー」とお願いをした。

実際どれだけ依頼があるのかという心配とは別に、なんとなく「退職後も何か必要とされて出番があるようだ」という思いが心の救いになった、この依頼があって退職後が楽しみになり4月1日が待ち遠しくなった。

ボケ防止の緊張は何とかなった、では楽しみはどうだろう「釣りが有るじゃないか」と思いついた、今泉港の間口を出れば私を待っている禁漁区があった、ここ6~7年ほどはそこに行っていないが禁漁区だから漁師も遊漁船も近ずくことはない。

ただ一人許された釣り場 今泉港の禁漁区でメバルを釣る

ただ一人許された釣り場
今泉港の禁漁区でメバルを釣る

あそこはただ一人館長だけが行ってもいいと許された専用の釣り場だった、深さが3~4m100m四方に鳥海山の女鹿石を敷き詰めて毎年アワビの稚貝を放流していた、ここで大きく育ったアワビを年に1~2度今泉の漁師が総出で採って、分配しよう、、、という計画だったが、海藻がほとんど生えず放したアワビもどこかに消えてしまった。

いつの間にかアワビの牧場は誰も行かず、敷き詰めた石のおかげで磯の魚の格好の住処になり、メバルや海タナゴ,アイナメなどの楽園が出来上がっていた、そこに船を止めて生きたイサダを撒き餌にして寄せれば夢じゃないかと思うほど釣れた、その場所専用にと作った庄内竿を使えば、手元から見事に曲がった細竿が男心をしびれさせてくれた、あの釣りをもう一度したい、、、、新水族館を作るという計画が進み始めるとともに、長くやっていなかったのだ。

メバルもタナゴもまた私が釣りに行こうと考えている事などつゆ知らず、ここは魚の楽園だとすっかり油断しているはずだ、ならば腕が痛くなる程も釣れるだろう。退職すればその楽しみを妨げる心配は何もなかった。

40代の若かりし頃の元館長。 大山川で釣った岩魚を前に

40代の若かりし頃の元館長。
大山川で釣った岩魚を前に

釣りはもう一つイワナ釣りが有る、私は欲張りなんだろう、海だけでは足りず渓流と二刀流を使っていた、かっては年に60回も山に入り3000匹以上も釣っていたのだ、もうあんなに釣らなくてもいいふらりと出かけて、せいぜい5~6匹もつれれば幸せな気持ちになれる。

庄内平野を取り巻く山々の流れは知らないところはない、山奥に入らなくてもそこそこ釣れる場所にはあちこちに有る、場荒れしていたって構わない居ないわけではないからそんな相手でも釣る手がある。

昔からわざと手ごたえを大きくするために「腰の強いイワナ竿」は使っていなかった、細身で軽いオイカワを釣る竿を使えば倍の手ごたえが有る、8寸から1尺もある良いのが釣れれば流れに乗って暴れまわってくれるだろう。

釣りをまた始めるという楽しみが、49年に及ぶ思い出の職場を去る「悲しく切ないはずの老館長の心」を豊かにしてくれた、後はその日を待つのみだ。

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