村上龍男のブログ

鳥海山に吹き山が立つ

 ここ庄内の冬は暗い、雪の季節にはめったにお天道様は拝めないのだが、昨日と今日は珍しいほど強い日が射してよく晴れた気持ちのいい天気が続いた、我が家から庄内平野を挟んで向こうにそびえたつ鳥海山がよく見えていた。

 鳥海山は真っ白な雪に覆われて光り輝くようだった。
雪の季節になるとめったに姿を見せない出羽富士の晴れ姿をみると思いだすことがある。
IMG_0002精度の高い天気予報が日常の暮らしに溶け込んでいる今となっては、白く輝くあの姿を見てこれからどう変化するのか、天気を占うことも要らなくなってしまった、荒波に身を任せる漁師でさえテレビの天気予報を頼りにしている昨今だ。
IMG_1002※ いつも鳥海山の天気予報を教えてくれた田沢勢造さんと、旧水族館の事務室で平成17年ごろ、、
の事務室には悲喜こもごもの思い出がある。
 今のように天気予報などない遠い昔の話を浜の古老によく聞かされた、地吹雪に荒れ狂う天気をもたらす低気圧が通り過ぎて、次の強風がやってくる間のわずか一時、静まり返った海に漕ぎ出して鱈漁をする人たちにとって最も恐れたのは、今は良い天気でもいつ何時突風が吹いてくるか分からない海上の変化だった。
IMG_5104※ 逃げるタイミングが遅れればそれこそ板子一枚の下を流れる冷たい海に投げ出されることになる、「天気予報はない」其のときに頼りにしたのが鳥海山を見て占う直近の天気予報だった。

新水族館の屋上から見た2月の鳥海山、めったに無いのだがあのてっぺんから吹き山が立つことが有る、よほど注意していないと気が付かない。

穏やかに風もなく青空の中に真っ白にそびえる鳥海山頂付近に、真っ直ぐに天を目指して湯気とも、又風で舞い上がった粉雪とも見える細く長い白煙が何本か立ち上がる、「吹き山が立つ」と漁師が呼ぶ大荒れの前兆がそれで、吹き山が立ったら2時間で大荒れが来ると恐れられていた。

吹き山が立ったのを見れば「はえ縄」を引き上げて手押しの櫓をこいで加茂の港を目指して逃げ帰ってきた、今の様に強力なエンジンとスクリューは無いので時間がかかって大変だったろうと思う。

鱈の季節は、ひと月に一度か二度しか漁に出るチャンスは来ない、生活が掛かった漁ともなればついつい欲を出して粘って逃げ遅れる船が有っても不思議ではない、強風の中を大波にのまれるようにして加茂港を目指して帰って来る、それをまた心配して港で迎える家族や漁師仲間が赤々とたき火を焚いて見守っていた、、、、と古老から聞かされた。

「沖にいる時よりも港の入口でひっくり返ることが多かった、自分もそうだった遭難した船からどうして助かったのか分からない、泳ぐこともどうすることも出来なかった、波にのまれていつの間にか今の北防波堤の付近に打ち寄せられて助かった、きっと長く信心した善宝寺さんの助けだろう」と語ってくれたのは、長く水族館の管理人として宿直をしてくれた冨塚十吉さんだった。

一緒に遭難した一人が亡くなり、本間船長は「波にのまれたときに白狐が助けに来てくれたのが見えた」、と言ってその後旧立川町にある三日沢の白狐さんを信心するようになったそうだ。

荒れ狂う波があまりに高くなすすべもなく流されて、どうするすることも出来なく「船首に善宝寺さんのお札を張り付けろ」と指示をした船長も知っている、お札を張ったら不思議にも荒波が収まり無事加茂の港に帰ることが出来たと教えてくれた。
IMG_0001※ 加茂港の北防波堤の外側で磯見をしていた田沢紀太郎さん、気のいい人で時々クラゲを捕まえて持ってきてくれた。
 まさか1枚のお札がそこまで効き目が有るとは、、、とは思ったが、それは遭難した当事者でないと分からないものが有るのだろう、いい加減な方ではなく思慮分別をわきまえた立派な男だった。

今ではすっかり日本の漁業もすたれてしまい想像も出来ないが、西の金毘羅様と並び称されたのが東の善宝寺で、日本が自由に世界中で魚を獲りまくっていたあの頃、東北だけではなく北海道からも多くの漁師や船主が信じられないほどの多額の寄付をし、安全を祈願していた。

鳥海山を天気予報に見る、、、、そのやり方を教えてくれたのは、近くに住む田沢勢蔵さんそれに斉藤竹冶さんと言う老人だった、山頂に小い雲でもかかっていて見えなければ、今快晴でもどんどん天気は悪くなる。

逆に山全体が曇で覆われていても山頂が見えていればどんどん快方に向かう、また霞がかかっておぼろに見えていれば海から陸に向かって風が吹く、またはこれから必ずそうなる。
IMG_0002※ この雲は吹き山ではない、本ものは煙か湯気の様に細く真っ直ぐに立ち上る。
 はっきりと綺麗に輪郭までも見えていれば陸から海に向かって風が吹く、またはこれから吹いてくる、そのようにして風の強さと向きを知り波の高さを知る。

昨日と今日の快晴をもたらした1週間前にも、同じように見事に晴れ渡った天気が有った、鶴岡市内まで車を走らせて買い物帰りにふと見ると、月山の山頂付近に湯煙のようなものが何本か真っ直ぐ天を目指して立ち上がっていた、それでは鳥海山は?と見るとやはり青い空をバックに山頂付近に3本か4本の吹き山が立つのが見えた。

写真に納めようと思っているうちに、あっけなく吹き山は消えてしまった、それでは突風は果たしてどうか?と気にしていたら、やはり2時間後突然天気が変わり強風と吹雪が襲ってきた、この原稿を書きながらあの日の吹き山が立った写真が無いのが悔やまれて仕方がない。

 

今の私を見て20年も前には庄内浜では知られた釣り師だった、30年前には日本でも3本指に入るクロダイ釣り師だったと知る人は殆んどいなくなってしまった。

私の寝室は北向きの二階に有るので朝起きれば、庄内平野のはるか向こうの鳥海山まで遮るものが無い眺めが広がっている、

寝ても覚めても釣りばかりが頭に有って、仕事などどうでもいい毎日を送っていたあの頃、いつも海の様子が気になっていたのだ、荒れればクロダイを釣るに適した波具合になる。

静かに凪いでいれば採集の船を出して、磯の先に止めて生きた「イサダ」を播いてメバルやアイナメ、タナゴが釣れる、本当に釣りに行くかどうかは別にしても家に居ながらにして波具合を想像して、釣りに行く自分を思い描くだけでも幸せになれたものだ、そうして羽黒の我が家から鳥海山をながめて、手に取る様に加茂の波具合を知りニヤリとしたものだ。

2017,3,5

感動して滂沱の涙を流す

1週間ぶりに水族館に出た、のんびり家を出るのでこの頃はいつも10時ごろになっているが、館内はまともには歩けないほどの込みようで、いつになっても衰えを知らないくらげの人気には驚かされる。

今月の10日には天皇陛下もここを訪れてくださる事になっているし、そのせいだろう館内には警備を担当する私服の警察官が大勢見回っていた。

これほどの大きな存在になることを、わずか3年前の「新クラゲ水族館」建設中にどれほどの人が予想しただろうか、今年8月の入館者が10万7千人有ったそうだ、この調子で経過すれば3年目の今年度末には55万人前後になる、75~80パーセントが県外からの客だからオープン以来その数は殆ど落ちていないことになる。
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※ この水槽はいつみても素晴らしい、しかし寿命の短いクラゲをいつでも溢れるほどの数を群泳させるのは至難の業だ、喜ぶ客の陰で飼育職員の努力が有って実現しているのだ。

このところ日本では水族館の新築は3年目が底になる傾向にあり、オープン時の賑わいはたった2年で終わりを告げる、したがって3年目の成績がその施設の本当の評価となるので、何処の水族館だとしても経営側としては最も気になるものだ。 続きを読む

日本ホタルカズラを知っているか?

このところしばらくブログの更新をしていない、体調不良ではないか?と心配してくれる方も居るようだが、この暑さにはさすがに参ってしまい何事にも億劫うになっていたのだ。

だれでもそうだが、若いころを思い出してみると夏の暑さは好きだったと思う、情けないが後期高齢者と言われてはもう駄目だ、寒さも暑さもひどく体にこたえる有様だ。

遠い昔のことだが夏休みには毎日自転車をこいで3kmほど離れた今野川まで魚取りに行っていた、田んぼに水を揚げるために川がせき止められて長い瀞場が出来ていた、川幅が20mぐらいで深さの平均で2mも有ったろうか、それが500mも続いていた。
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その時々で咲いた山野草を玄関前に並べている、毎朝5時には起きて水を与えて様子を見るのが日課になった。
  私が高校、大学の頃だからもう60年近く時が過ぎたが、あそこは魚が多かった、深く潜ってゆくと土手にごろ穴が有って、手を突っ込むと中にナマズが居た、毎日通っていつも柳の枝に5~6匹の大きなナマズを刺し通して帰ってきた。

たまには60cmもあるサクラマスや、鯉に出合うことも有って自転車の前にぶら下げて帰るのは嬉しかったものだ。

30度でも35度の暑さでも平気で出て行ったが、もうあんな芸当はできない昔を思い出して「おれも若いころは元気だったなー」と懐かしむのがせいぜいだ。

ところで今日は山野草の話をするはずだった、もう何年たったろうイワナ釣りを始めて10年も過ぎたころだったと思うが、そうすると昭和52年ごろにあたる、山野草に凝っていた知人から「館長、イワナ釣りに行くと山に何か花が咲いているだろう、少しで良いから採ってきてくれ」と頼まれた。
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上段の左端と下段の紅色がヤマシャクヤク、下段の左端がアズマ菊、マイズルソウや桜草、手を伸ばしているのは白山チドリ、頭が白くなり膝に手をあてて山野草を育てるいい年になってしまった。
 これが始まりだった、それまでは山に入ればイワナ釣りのことしか頭になかったが、そう思って見ているとイワナのいる沢筋や釣り場に急ぐ山の細道にも結構あちこちに花が咲いていた、根を痛めないように掘り取って草の葉に包んで持ってきては届けていたが「せっかくとって来たんだから少しは俺も育ててみるか」と見よう見まねで鉢に植えて育ててみた、すると次第に控えめな山野草の魅力が分かってきた。

それまで花は好きだったがジャーマンアイリスとか、ボタンやバラなど色が派手で花びらが大きく目立つものに目が行っていた、しかし野に咲く花を知ってからはもうほかの花はどうでも良くなった。花の色も大きさもみんな控えめな所に「わびさびの境地」を感じた。
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DSCF2466裏庭の花壇、これも隠居してからの楽しみで手を入れ花を咲かせている。いつも窓越しに数を数えているが常に30種を超す花が咲いている。

私もそれだけ年を取ったせいかもしれないが、花の魅力に取りつかれた誰しも次第に年を取り、すべての欲を切り捨てた最後に到達する「美の心境」が、山野草の人知れずひっそりと咲く控えめな姿だと思うのだが。

イワナ釣りのつれずれに出合った花も多かった、広い日本に数か所しかないと言われた幻の花トガクシショウマもまだ雪が残る谷川のそばに咲いていた、桜の花に似ているが何の花だろうと名も知らぬまま少しだけ株分けして持ってきた、30年も前になるが今なお4月にはいい花を咲かせてくれる。
トガクシショウマ

 

 
↑画像はトガクシショウマ

ヤマシャクヤクの群生に出合ったことも有ったし、沢に降りる途中の草薮にひょろりと伸びた1本のオミナエシを見たのはもう50年以上も前のことだ。

あれだけあったオキナ草もいつの間にか姿を消しずいぶん探し求めたが数年前、ついに山の放牧場の片隅に咲いているのに出会って感動した、周りにはアズマギクの群生が有ってそちらに目が行き、案内してくれた友人がここに有ると指さして初めて気が付いた。
アズマギク

 

 

 


↑画像はアヅマギク

オキナグサ

 

 

 

 

 

↑画像はオキナグサ
今は珍しくなったエビネ、ヤキンラン,ギンランも何度も出会っている、、ところで「日本のホタルカズラ」を知っている人はどれほど居るだろう、「ホタルカズラの小さな花が、、、」と歌にも出てくる様に、花の幅が2cmほどの小さく水がしたたる様に鮮やかなブルーで見とれるほどに美しい、、、。

中央がヒメシャガ、紅色がヤマシャクヤク、その奥の小さいのがアズマギク、右端が日本のホタルカズラ、、、目が覚めるようないいブルーだ、みな人知れず咲く野の花だ。
DSCN0964↑画像右は日本のホタルカズラ
 しかしいかんせん余りに花が小さくこれが草薮に紛れて咲いていたとしても誰も気が付いてくれない、細く頼りなげな蔓状にのびた茎のさきに小さな花をつける。

かっては日本各地に普通に有ったと言われているが、今ではまず尽きてしまったように見える、10年も前にわが家のほど近くに咲いていたものを育てて

いるが、増えもせず尽きもせず5月になると毎年可憐な花を咲かせている。

今日はその花を見て頂きたいと思って久しぶりに書いてみた次第です。

ブドウのつる剥ぎは男のロマンだ

6月27日と29日に山ブドウの皮を採りに行ってきた、これが何と思いもよらない重労働だった、今では山奥の集落も若者が出て行き人口が減ってしまった、自分で皮を採ってきて籠を編んでいる人はごく少数に限られている。

山ブドウの籠は、物産館や山手のドライブインなどで販売されているのを見ると、見とれるほどに素晴らしい出来栄えはともかく、何と値段の高い事か自分が編むまではいつもそう思ってみていた、しかしいざやってみるととてもとても3万円や5万円では売ることが出来ないほども価値のあるものに思えてきた。

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羽黒二小の5年生と、ブナの植樹をしてきました

朝から雨が降っていたので中止になるのではないかと心配したが、次第に雨が上がってまずまずの天気になって実行できた、映画村のそばを通って余目牧場に上がってさらに上ると田代谷地と呼ばれる大きなため池に出る。
田代谷地

※ 田代谷地と呼ばれる農業用水のため池、ここに友人と30匹のイワナを放流したのはもう10年以上も前になる、静かな良いところだ。

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後ろ足で砂を掛けられた訳ではないが似たようなことも有るもんだ

今日本当に久しぶりで海釣りをしてきた、釣りを止めたつもりはなかったが最後の10年近く、あまりの忙しさに出る時間が無かったのだ、振り返ってみればいつの間にかずるずると長く海の釣りをしていなかったことになる。

釣りに行った5月15日の日曜日も2300人の入館者でにぎわっていた、外の屋台も結構な繁盛だった

実は今日が初めてではなく1週間前に向かったことは向かったのだが、飛んでもないアクシデントが有って結局釣りは断念せざるを得なかった、遠足前の小学生の様に胸を高鳴らせて準備して、長い冬の間に夢を膨らませた海のつりだった。

浜中の海岸へ撒き餌さのイサダを捕まえに行ったのは良かったのだが、籠いっぱいに捕まえて戻ろうかと思ったら4駆の軽トラックが砂にめり込んで動けなくなった。

ちょっと時間はかかったが、羽黒からランドクルーザーを呼んで引っ張り上げようとしたら、こっちも砂にめり込んで動けなくなってしまった、刻々と時間が経過して結局夕方の5時になってやっと、近くの農家の知り合いがトラクター用のあゆみ板を持ってきて助けてくれた。

脱出した嬉しさに万歳をしたが、もう釣りにゆくチャンスは失っていた、残念極まりない思いをぐっと飲み込んで、陽が落ちてゆく水平線を眺めながら、本当は今頃釣りきれないほどの海タナゴやメバルにアイナメが釣れていたはずだと恨めしかった。

今日の釣りは1週間前の雪辱戦だったが、その釣果の報告は少し先延ばしにさせて頂いて、砂にめり込んだ軽トラックを見ながら助けを待つ間に、10年前の出来事を思い出したのでそれをまず先に紹介したい。

ギンカクラゲが湯野浜温泉の海水浴場にいっぱい打ち上げられているという情報が有って、写真撮影のためにビックホーンに乗って出かけて行った、あれは秋のクラゲだから多分9月の末かあるいは10月に入っていたかもしれない。

これがクラゲかと思うようなまさに銀貨そのままの姿で海面に群れて漂っている、何でこんな姿になるのかクラゲの世界は不思議なことがいっぱいだ

これがクラゲかと思うようなまさに銀貨そのままの姿で海面に群れて漂っている、何でこんな姿になるのかクラゲの世界は不思議なことがいっぱいだ

湯野浜小学校の手前に公衆トイレが有ってその奥に砂地の駐車スペースが有る、そこの中ほどに車が海岸に降りてゆけるようにコンクリートで斜路が出来ている。

ビックホーンを4駆にして砂浜に乗り入れてさて、どこら辺が良いだろうと見渡したら、遠浅の波打ち際に1台のRV車が見えた、そばに二人の人影が有ってうろうろしている様は、どうやら車が砂地にめり込んで脱出できなくなったようだ。

近くに行ってみたら頼りなげな若い夫婦だった、ざっと見には22~3歳ぐらいか、奥さんと思しき女性は乳飲み子を抱いていた、こんな若者に買えるような安い車ではなかった、、、となると恐らくどこかのお金持ちの坊ちゃんじゃないかと想像した。

他には誰も助けに来る様子もないし、こっちも4駆だ引っ張り上げてやろうと持参のロープでつなぎ、クラクションの合図とともに車を動かした、、、これで楽に脱出できると見たのだが、黒塗りの立派なRV車はびくともしなかった。

広い湯の浜温泉海水浴場、黒いRV車が砂にめり込んでいたのはこのあたりだった、あの日もこんな風に潮が満ちてきた

一体どうしたことか何度かやっているうちに太いロープが切れてしまった、なんだか嫌になったが人助けの途中で投げ出すわけにもゆかず、ガソリンスタンドで牽引ロープを買ってきてもう一度引っ張ったら新品のロープがまた切れてしまった。

打ち上げられている木切れを集めてタイヤの下を手で掘り敷きこんだ、此れで上がるはずだったがびくともしなかった、次第に車体は深くめり込んで手で掘るのは限界だった、水族館に戻ってシャベルを持ってきて車体の下を大きく掘って木切れを敷いて今度はジャッキで持ち上げた。

それでも高級感に溢れる黒塗りのRV車はびくともしなかった、何をやっても何度挑戦してもダメだった、時間がたち陽も傾き引いていた潮が満ちてきて砂を押し戻し、掘った車体の下がまた砂で埋まり始めた。

可愛そうだがもうこれが最後のチャンスだった、駄目なら潮水に浸かるのも仕方がないだろう、、、と思いながら再びジャッキで持ち上げて、タイヤの下に木切れを突っ込み念のためと聞いてみた「4駆さ入れっだんだろうなー」。

そしたら何と「4駆ってなんですか?」と来たではないか、耳を疑った、奥さんと思しき女性が運転席を指さしながら「そういえば車屋さんがそこをどうとかするって言っていたじゃない」、、、と言う声が聞こえてきた。

「冗談ではないよ!こんな立派なRV車に載っていて「4輪駆動」も知らないなんて」、何が魂消たって言ったってこれはひどい、知らずに苦労していた自分がほとほと可哀そうになった。

「いいかこれが最後のチャンスだぞ、駄目なら終わりだ」と言い聞かせ、合図とともに一緒に動かしたら今度は嘘のように簡単に脱出できた、若い二人の運転するその車は牽引ロープを引きずりながらそのままスーッと砂浜を走りぬけて、降りてきたスロープをあがって駐車場に出て視界から消えてしまった。

それっ切りだった、あの夫婦も今は32~3歳にはなったはずだ、いい大人になって子供を連れて加茂水族館にクラゲでも見に来ているかもしれない、それにしても一体どこのどなただったものか、お金持ちの親に「初孫の誕生祝」にでも立派な車を買ってもらって二人で初乗りにでも来たのだろうか。

湯野浜を通ると思い出すことも有るが不思議と腹は立たないニヤリとなるだけだ、それは若いと言うよりも幼く見えた二人の顔のせいかもしれない。

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