7月初めての土曜日に水族館に行ってみた、気になっていたのは1日に開館した仙台市の「海の杜の水族館」の影響だった、去年は加茂がオープンして周りの水族館に少なからず影響を与えたと思うが、今年は逆にこちらが影響を受ける立ち場になったのだ。
退職をしたとはいっても長年苦楽を共にした古巣のことは気になるもので、東北地方最大の都市である仙台市に初めてイルカショウを売り物にした水族館が誕生するとなれば、かなりの影響を受けざるを得ない、いったいどれほど入館者が減るのだろうか、いつも頭にあったのだ。
賑う加茂水族館
朝9時半もう多くの乗用車が駐車場を埋めていた、まずまずの出足だった、建物の裏に回って職員用の駐車場に車を止めた、裏口から中に入りアシカとアザラシのプールを横目に、館内に入ってみた。
客とは逆のコースをたどりながら、クラゲの展示を横目に行くとやはりいつもの土、日とは少し様子が違っていた、思ったよりも客が少ない感じだった、大きくはないが影響を受けているのは明らかだった。
それでもクラゲの展示は人込みで真っ直ぐには歩けない、時々立ち止まってやり過ごしたり人の間を縫うように進んだ。
歩きながら思ったのは「これで客が少ないと言ったら罰が当たるだろう、この建物はたったの20数億円で建ったのだ、金額だけを見れば大金をかけたのに何を言っているのだと叱られそうだが、秋田の3分の一、新潟の4分の一、福島の6分の一の金しか掛けていないのだ、それを思えば御の字だな」、過疎の東北だとは言っても小さな体でこれから先、多くの巨大な同業と競い合って切磋琢磨してゆかねばならないのだ。
老館長は引退したがその後を継いだ若い館長と職員たちが頑張っていた、あの調子ならクラゲのいい展示と良いアシカショウー、そしてレストランも売店も受け付けもすべての部所で、いい成績を上げてくれるだろう。
アカクラゲ
土曜日で出勤はしたが今日の予定は特にない、たまには予定のない日もいいものだ、さて何をして一日を過ごそか、、、、、と思った時に思い付いたのが、渓流釣りで使うタモの製作だった、責任の2字から逃れた今の自分はありがたい。
「あれをまたやってみようかな、冬の間中7本も作ってみたが何か一つ満足できないものがあった」のだ。趣味の世界は用を足せればそれで良いというものではない、自分が満足するかどうかにどうしてもこだわるものだ。
雪に閉ざされた冬のことでする事もなく作業は大いに楽しかったが、栢木(かやのき)の枝の生え具合が思い描いたものと違っていた、もう少し右と左に広く開いているものが欲しかったのだがあの時はいくら探しても見つからず、まずまずの物で妥協したのだ。
両方に広く枝を張った栢木
このようなものがタモに適している
栢木はそうどこにでも生えているものではなく、場所を知らなければ山に入ったからと言って見つかるものでもない、、、ならどこに行けば良いのか、、、20年も前に近くの大山川の上流で栢木が生えているのを見たかすかな記憶があった、あそこに行って少し採ってきてもう一度挑戦してみたいと思った、大山から水沢に出て大山川沿いに町田川から国道345号線で奥を目指した。
坂ノ下集落から左に折れて大机に向かった、二か所に「クマに注意」の立て看板があった、廃村になった大机の集落からさらに奥を目指した、道はひどい荒れようだった。
両側から道を覆う茅藪(かややぶ)を押しのけながら車がすすんだ、ここだったなと思って車を止めたが、そこから目的地に入る細道がなくなっていた、20年の間に予想以上に木々が生い茂っていた、いくら探しても痕跡さえも見つからなかった、杉の林も見事な大木になっていた「俺が来ていたころは歩くたびにナタで芝藪(しばやぶ)を切り払っていたんだが、誰も通らないと見えるなー」。
ここには少し奥に滝があって、その上から水を引いて山の田圃を潤す水路があったのだ、その水路沿いに歩いてずいぶんイワナ釣りに来たものだが、まあ仕方ない地形を頼りに杉の林に踏み込んだ、むっと来る暑さが来た、右手に回り込むとなんだか見覚えのある水路らしきものに行き当たった、もう水は流れていなかったがこの小さな水路に沿って道があったのだ。
藪を漕ぎながら奥に行くと記憶にあった一帯に栢木は群生していた、栢木というが人の話だと本当の名前は「犬栢(いぬかや)」というらしい、この木はあまり大きくはならない、見たところせいぜい3mが限度だった、1本ずつ丁寧に見て回り枝が横に張った気に入ったものを4本採った。
ようやく良い材料を手に入れることが出来た、どんな木にも言えることだと思うが、皮をはぐには適期というものがある、山の雪が消えて木々が一斉に根から水を吸い上げて緑の葉を茂らせ、花を咲かせ成長してゆこうとするその時わずかな時期が見事に芯から皮が剥がれる。
近所に住む孫と一緒に作る
もうずいぶん昔に胃の薬になると聞いて、キハダの木の皮をはいだことが有ったがやはりその時期を外すと、表皮と中の黄色に染まった甘皮が剥がれない、それは蔓細工に使う山ブドウの皮についても全く同じだった。
採ってきた栢木は乾燥を防ぐために水につけておくとしばらくは剥がれやすさが保てる、夕方涼風が吹いてきたところで皮を剥ぎ始めた、親指と人差し指の爪を使って剥いでゆく。
面白いように剥がれるのだが、爪の間に木屑が入って痛い、まあ何と言うかそんなことも楽しみなのだ、夢中になって剥いでいるところに近所に住んでいる孫が来てやり始めた、大人がやっているとつまらないことも楽しそうに見えるのだろう。
二人とも真剣である
一人でやるよりも連れがいた方が気分はいい、何だかんだと言いながら仕事が弾んだ。
少しずつ剥がれて中から赤みの差したきれいな木の肌が現れた、このまま乾燥してくれればいい色に仕上がるのだが、乾けば色が白くなってしまう。
木肌が赤みを射してたっぷりと水を含んでいるうちに用意した丸い型枠に縛りつけてゆく、両方の枝の生え際を縛って固定してから先の方に向かってギリギリと巻きつけてゆくと、いい具合に真ん丸にまげられた。
これがもし乾燥してしまったら、ヤカンの蒸気を当てるなどして温めないと枝は簡単に折れてしまうのだ。
アユ釣り用のタモだと抜きあげたアユをタモで受け止めなければならないので、結構大きいものが必要だがイワナ釣りだとせいぜい径が25~30cmも有れば間に合う。
たまにしか手に余るような大きいものが釣れることもないし、釣る餌の川虫採りの用を足せればそれで良いのだ、枝を巻きつける丸い鉄筋の枠には100円ショップに売っている植木鉢の台がちょうどいい。
金属の円い枠に枝を巻きつけていく
5つ6つ準備した、紐をほどいて丸くつないでタモにするにはまだまだ先のことで、まずは半年も陰干しにしてしっかりと形を固定しなければならない。
ここから先もまだ工程は残っている、金枠から外して枝を接着して丸くタモ枠が出来上がる、さらに塗装をして網をつけてやっと出来上がる。
網は丁度あったものが手に入らないので自分で作るほかない、また100円ショップに材料探しに行ってみた、有ったのだ、、、洗濯機に入れる網の袋が、縫い目を外して1枚の布にしてタモのサイズに合った網を作ってゆく。
縫い物などしたことがないのだが釣りに使うとなれば、これも楽しみな仕事だ、いそいそと糸も針も買いそろえて縫い始めると時のたつのが忘れるほど没頭していた、なんと楽しい仕事があったものだ。そしてついに出来上がる。
この冬の間に7つも完成させた、5月の末に一番気に入ったタモを手に初めてイワナを釣りに行ってみた、流れの曲りにいい深みが見えたあそこなら釣れそうだ、土手から河原に飛び降りてさて、、、と思ったら踏ん張りが効かずにひっくりかえってしまった。
山奥の滝で一休みする
背中の後ろでポキリ!と音がした、アッと思った、精魂かけて作った栢木のタモが無残にも折れていた、アー無常なり、この世には神も仏もいないと見える。