9月20日ごろに水族館にとってめったに無い嬉しいニュースが続いて舞込んだ。一つは鶴岡市の「市政功労者」に館長が内定したというものであり、数日置いた23日「斉藤茂吉文化賞」に加茂水族館が決まったというものだった。
斉藤茂吉文化賞といえば県最高の賞である。この老朽、弱小、貧乏水族館にとっては寝耳に水、夢じゃないかと思うほどの嬉しい出来事であった。その余韻がまださめない
24日朝出勤するとファックスが届いていた。
何げ無く手に取るとアメリカの下村脩先生からのものであった。送ったクラゲをデザインしたネクタイのお礼とその後には、「来春何とかして加茂水族館にうかがいたい」と続いていた。
思わず「やったー、万歳」と歓声を上げてしまった。叶わぬ夢とも思いながらこの一年間折に触れて手紙であったり、直接であったり、電話であったり先生にお願いしてきたが、何と本当に来てくれる運びとなったのである。
最後の決め手となったのは、ここで初めて作った「クラゲをデザインしたネクタイ」であった。
オリジナルの商品も、今年はたいしたアイデアが浮かばなかったが、アクアマリンふくしまの安部館長がヒントをくれた。
5月末に訪れたとき、私にて土産としてくれたのが「サンマを正面から見た顔」をデザインしたネクタイだった。
「うん!これはいける、サンマをクラゲに変えればいいものが出来そうだ」とピントきた。
しかしたかがネクタイと思ったが、意外とこれが難しい。
安部さんは秋刀魚の顔も自分で描いてデザインしたそうだが、こっちにはそんな器用な者はいない。結構苦労した。
出来上がったらアメリカの下村先生にも送ろう。確か今年で81歳になられるはずだ。9月21日の敬老の日に合わせて届けることが出来れば喜んでいただけそうだ。
それなら「死なない生き物」として知られている「ベニクラゲ」が一番縁起がいいしぴったりだ。やっとデザインが決まって、ここ庄内地方に今尚伝わる絹の技術全てを結集していい物を作ることになった。
繭の生産から絹織物、そして染色は浮世絵の技術をそのまま使った「手捺染」という他では見られなくなった特別の技術が残っている。
混ざりけなしの「純庄内産のクラゲネクタイ」の誕生であった。「ベニクラゲとは行かないまでも、長生きしてしてください、その願いをこめて送ります」との手紙を添えて発送した。
その返事が24日のファックスであった。その全文は次のようなものだった。
「お手紙とネクタイ有難うございました。今度日本で使わせていただきます。
後10日で日本に出発します。今回は関西地方が主で、東京での滞在期間が短くて行くことが出来ません。来年春には何とかして加茂水族館を訪問したいと思っております。
場合によっては日帰りになるかもしれませんが、盛岡とは別に行くことを考えております。
加茂水族館の入場者が順調に増える事を祈ります。
下村 脩」