もうあれから70日が過ぎた。当時は受けたショックの大きさから、此れが元に戻るには数年は掛かるだろうと思っていたが、直接の被害を受けなかった地の利が幸いしたのか、意外に早い回復を見せたのは正直言って驚いている。
あの日3月の11日は小学校の春休みを1週間後に控え準備万端整えて、いざ今年もいよいよ始まるぞ、はたして今年も多くの来館者で賑わうことができるか、クラゲ人気に陰を射して思ったよりもお客様が来なかったという結果にならないだろうか、とか緊張をしていた時期である。
ここは殆ど大きな揺れは感じないでしまった。少しいつもより長いなと思っただけである。誰も騒がなかったし物も落ちてこなかった。
ただ事ではない事に気がついたのは、テレビを付けてからである。宮城県の沖で巨大な地震があった、30分後には津波が来るだろうと報じていた。しかしテレビに映る宮城の海は穏やかに波が寄せ、陽が射していた。
その後に来た津波の恐ろしさは、私が今更語る事もないであろう。現実のものとは思えないほどの力で何もかも押し潰しながら、何処までも遡っていった。
巨大な津波に襲われた太平洋側に比較すれば、直接の被害のなかった加茂水族館は恵まれていたというほかないが、流通とガソリンが止まったことで客が来なくなるという被害は、希望の全てをなくするに十分だった。
ここは補助金に頼らない独立した経営をしている関係上入館者がないということはそのまま経営の危機となる。
いつもどおりの営業が出来たなら、過去最高の入館者を3月で更新するはずであった。思いの全てを込めて冬の間中思い切った改装をしたクラゲの展示室も、見る人とてないのでは報われない。
いつもならこれから今年の観光シーズンが始まるという明るく勢いが膨らむはずの春休みであった。
流通が止まったことはすぐにクラゲの展示に影響が出た。春が来て日本各地にいろいろなクラゲが出現し、一斉に加茂水族館目指して送られ始めたが、其れが届かず送り主に帰っていった。
お陰で当てにして改修した「新クラネタリウム」は淋しい展示のままだった。ガソリンが買えなくなったことも大きかった。仙台市の八木山動物園から震災直後に「水道が止まった水を送ってくれ」と依頼が来たが、これも応ずる事が出来なかった。
水を運ぶ車のガソリンが手に入らないだけではなく、帰りの分は補給できない事は見えていた。
向こうの窮状が分かるだけに辛かったがどうしようもなかった。
3月の24日頃からやっとガソリンが普通に手に入るようになった。此れが最初の明るい兆しだった。
其れと共に少しずつ客が戻り始め、平日は3割程度だったがまずその傾向が土日に現れて、8割程度に戻ったのである。
しかしまだまだ経営が安定するには程遠い状態であったが、その暗い気持ちを一気に吹き飛ばしてくれたのが4月の29日、連休初日の入館者であった。
昨年の倍の人が来てくれたのである。此の1日がどれほど私共に大きな希望を与えてくれた事か。「あの安堵感」は忘れる事ができない。
大きな借金を覚悟していた今年の経営だったが、たった1日が自力でやってゆけるという希望と確信を与えてくれた。
過去最高の入館者と同じであった昨年比で、4月が80%、5月が91%、6月が108%に戻った。此れで叉新しい水族館建設に向けて希望を持って進む事ができる。感謝あるのみだ。