月別: 11月 2013

何でこんなに優しいのだろう

眠りの浅い朝方に見た夢のような気もするが・・・いやそうではないあれは本当の出来事だった。2013年10月21日、半蔵門の駅近いビルの7階だった。

大きなテーブルを挟んで私の向かいにその方は座っている。年のころ84~5歳か。緊張しながら座る私がまるで自分の孫でもあるかのように穏やかな微笑をたたえていた。

56-1-600x400

本当はこうして私と向かい合っていることなど有りようのない雲の上の方だった。光り輝く太陽かはたまた雪を頂いたエベレストの山頂か、兎に角近寄りがたく有り難い、とてつもなく大きな存在だった。

その方の前に一冊と私の前に一冊、クラゲの写真集が開かれている。そして私が少し庄内弁の訛りが入った言葉でそのお方に説明していった。ほとんどのクラゲにこの17年間の思い出が詰まっていた。

このお方と私が、対談をしてそれを本にすると言う企画が持ち上がり、向かい合って座る事になったのだが、これはどう見てもとんでもないミスマッチであるのは間違いなかった。しかしいつの間にか時間は流れてその日が来て、こうして向かい合っているのだから世の中何が起こるか分からない。

写真集の何処を開いても語る言葉は尽きなかった。

56-2-266x400

 

「このクラゲは貧乏の極みで出会った救いの神様です。これに出会わなかったら今の加茂水族館は有りません。」「難しいクラゲの飼育の中で例外的に簡単で、放っておいても繁殖もします。」その方は椅子を少し横向きにずらしてじっと聞いてくれた。

この方とは元々は何の御縁もゆかりもない人だったのだがちょっとしたことから交流が始まり、その後は思いがけない展開が待っていた。

平成20年10月8日夕方だった。下村脩先生がオワンクラゲの発光物質(GFP)を純粋な形で取り出した功績が評価されて、ノーベル化学賞を受賞されることに決まったニュースが日本中を駆け巡った。

私はこのニュースに大きな感動を覚えた。事の大小は比較しようも無いが向こうはクラゲでノーベル賞に、この小さな水族館はクラゲで経営の危機を救われた。

クラゲのノーベル賞は自分の事の様に嬉しかった。そして感激した。その思いを手紙に書きアメリカの先生宛に発送した。この小さな1歩が今に及ぶ交流の始まりになった。翌々年の4月には加茂まで来てくださりそしてまた今日の対談につながっていった。

それにしても下村先生はなぜかこの小さな水族館に大変優しかった。ノーベル賞を受賞された直後日本中のみならず世界中から講演依頼が有った中で他を断ってまで来てくださり、折に触れては震災の影響を心配して下さり、新水族館の工事の進捗状況を尋ねたり、大雪が続けばメールで励ましてくれたりしている。

この度の対談はPHP新書が「先生と私がクラゲ談義に花を咲かせて、それをもとにクラゲの手引書を出版する」という企画を立てたときに、いち早く承諾をして頂いた。先生のご承諾が無ければ泡と消えていた企画である。

ノーベル賞の大先生と日本一小さな水族館の館長という組み合わせは、だれが考えても有りようのないものだった。

私の緊張をよそに、12時半に始まった対談は10分ほどの休憩が有っただけで夕方の5時15分まで続いた。先生は「この所時差ボケが取れなくて熟睡が出来ない」と言いながら最後まで穏やかな表情は変わらなかった。

56-3-600x400

 

来年の7月ごろに出版予定だと聞いているが、私にとって二度とこんな名誉なことは無いだろう。末代までの誇りだしそろそろ仕事人生も終着駅が見えてきた老館長に最高のエールになりそうだ。

 

 

天高くアクリルガラスは翻った

ついこの間クラゲ大水槽のアクリルガラスが運び込まれたが予想外の大きさだった。厚さが27cm幅が3m高さが6mが二つ、自分が提案したものだったし紙の上では穴が開くほども見慣れた数字だったが、実物を見るとその大きさに圧倒されてしまった。

沖縄の美ら海水族館のジンベイザメ水槽は厚さが60cmもあったし、隣の男鹿水族館でも大水槽には49cmのアクリルが使われている。今時27cmは特にいうほどのことが無いのかも知れないが、直径が5mのクラゲ水槽にこんな厚い物が必要だとは思わなかった。

1c378563409a98e2b004500bab1ac345-600x400

 

アクリルガラスを積んだトレーラーは栃木県から夜中に到着して、朝早く巨大なクレーンで工事中の建物に運び込まれた。縁起を担いだのだろうが吊り上げる合図を館長に頼むと言われ、赤い棒を右手に持って「上げてくれー」と合図をした。

984231f459b15a19201f5c9825c32a85-266x400

 

アクリルガラスを積んだトレーラーは栃木県から夜中に到着して、朝早く巨大なクレーンで工事中の建物に運び込まれた。縁起を担いだのだろうが吊り上げる合図を館長に頼むと言われ、赤い棒を右手に持って「上げてくれー」と合図をした。

fa721e13f1b3bbad15dbe10ab42ed36c-600x400

 

あの水槽にはおびただしい数のミズクラゲが群泳することになる。繁殖させて成長させる飼育係も苦しい日々が予想されるし、定期的に行われるメンテナンスも万に近い数を思うと其のたびに難しい作業が待っている事だろう。

クラゲの展示に特化すると言えば格好いいが、その実苦しい事ばかりが想像される、何でこんな生き物に全てを託したのかと悔やむこともあるが、苦しい仕事の向こうに明るい未来が見えるから頑張れたのだ。

吊り上げられたガラスを見ながら思ったのは、矢張り17年前の苦しい時代だった。民間の会社が倒産を覚悟するという事はただ終わりが来たという事ではない。経営者には結果責任が伴うのである。

まさに追いつめられて真っ暗闇の状態だった。へたり込みどこにも進むことが出来なかった。その時はるか向こうにかすかな光がさしたのである。この光を目指して再び立ち上がることが出来た。

早いものであれから17年が経過しようとしている。陽が当たったアクリルガラスはあの時の光だったのかも知れない。