春が来たようだ。結構積もっていた庭の雪も8割がた融けて水仙の芽が少し伸びてきた。
年別: 2016
ぶどうつるの籠編みは難しい
この冬もブドウつるの籠を1つほぼ完成させた、あとは持ち手を付ければ完成なので本当はいつでも取り掛かれるのだが、しかしこの度編んだのは女性用ではなく自分で使ってみたいと思ったので、男用だからここからが工夫のいるところだ。
籠に男用も、女性用もないようなものだがしかし、何処かに変化を持たせて男が持っても様になる様に作りたいのだ。
いつも使っている木型に幅だけを5cm増して、厚みは増さずにスマートな感じを出して編んでみた、完成はしたがこれだけではどう見ても女性用と差が出ない、
結局持ち手で差をつけるほかないと思い至った、ビニールではせっかくの籠の味わいが死んでしまう、何か木の皮でも使って縄状の長い紐を体裁よく付ければ、ブドウの皮とマッチして違和感がなく持ち歩けるのではないか。
木の皮で縄を、、、、と言っても材料は手元にないから、山に行って採取してこなければならない、適した木は「ウリハダカエデ」か「シナノキ」が良い、子供の頃に我が家で蓑(みの)や荷(に)縄(なわ)の材料として使われていたのを思い出したのだ。
6月ごろに皮を剥いできて「赤さびの出ている湧水に浸ける」こうすることで色が茶に変わり強さが増す、それまで3~4か月あるが思いを巡らせながら待つほかない。
私の籠編みの歴史は結構長くなった、多分昭和45年ごろが始まりだったと思う、イワナ釣りを覚えて夢中になり寝ても覚めても頭はイワナ釣りのことばかり、自分はイワナ釣りをするためにこの世に生を受けたのではないか、、、、と思うほども釣りにのめりこんでいた。
山に入るたびに思ったのは釣具屋で買った出来合いの魚(び)籠(く)ではなく、アケビの蔓で編んだ自分だけの格好いい腰魚(こしび)籠(く)が欲しかった、やはり趣味と言うものは思いが膨らめば止めどもなくそれこそ願いが適うまで突き進んでしまうものらしい、近くにアケビ籠を上手に編む老人がいたのでさっそく山から蔓を取ってきて腰魚籠の製作を依頼した。
できたと言うので「あら嬉しや」と吹っ飛んで行ってみたら、これが思いとはかけ離れたただの手(て)籠(んご)であった、私が夢に描いた魚籠とは似つかぬ代物だった、釣りをしない方だったから仕方がないと言えばそうだががっかりさせられた。
こうなれば自分で編むほかなかった、教えてくれる人も教科書もなくいきなり編み始めたが旨くゆくはずがなく、籠とは言えないようなものが出来上がった。
しかし自分にも籠が編めたと言うことがうれしかった、でこぼこにゆがんだ小さな籠を腰に縛り付けてイワナ釣りをした、これが始まりだった少しずつ編み方が分かっていって、腰にぴったりくる魚籠が編めるようになった。
アケビの蔓は11月以降に山に入って取ってくる、木に絡んだものは使えないので、地上を這って直線的に長く伸びたものだけが材料になる、2~3か月伸ばしたまま乾燥させてその後太さを3段階ぐらいに分けて枝や細かい根を取り去る。
これを気が向いたときに取り出して水に浸けて柔らかくして編んでいた、大きいのは幅が60cmもあるのも作ったし、皮をむいて中の芯だけで編んだ逸品もある、腰魚籠だけではない今ではどんな物でも思いのままに編むことが出来るようになった。
アケビの籠作りが上手になるにつけていつか編んでみたいと思うようになったのが、今やっている山ブドウの木の皮で編む籠であった、もう30年も前になるが大井沢に上手な人が居ると聞いて編むさまを見に行ったことも有った。
70歳はとうに過ぎたかと思えるお爺さんとお婆さんが囲炉裏のそばで編んでいた、見ていると実に簡単にきれいに編み上げていた、しかし自分でやってみると難しいことこの上ない、やればやるほど難しさが見えてきた。
まず材料のぶどうの木の皮が手に入らない、売ってもいないし自分で山に入って取るほかないのだ、見事にするすると皮が剥がれるのは6月から7月にかけてのわずかな期間だけで、山に入ればいつでも、、、、という訳にはゆかない。
また木に絡んで成長しているのでほとんどが曲がりくねっていて、真っ直ぐな良い材料が取れるのはほんのわずかな部分だけだった、こぶや穴もあるし捻じれてもいる、えらいものに手を出してしまったようだと気が付いたが、しかし難しいからのめりこんだと言えるかもしれない。
物産館などで販売しているのを見ると「同じ人間がなぜこんなに上手に完璧に編むことが出来るのか」、ただ見とれて感心するほかない、3万円だの5万円だのと良い根が付いているが、私に言わせれば倍の値段でもまだ安く思える、それほど手がかかっているし芸術と言っていいほどの見事な技術が込められているのだ。
今年はこの一つで終わるが、また蔓とりから始めて挑戦してみよう、あの日に見た物産館の作品に引けを取らないような、自分でもいいなーと思える籠を編みたいものと願っている。
旧ブログ記事を当サイトへ移植しました
いつも当サイトをご覧いただき誠に有難うございます。
ファンの皆様の熱いご要望にお応えして、加茂水族館館長だった当時、書き綴っていたブログ「加茂水族館人情話」の記事を、当サイトへ移植いたしました。
興味のある方は、是非こちらよりご覧ください。
今後とも村上龍男と当サイトを何卒よろしくお願い致します。
村上龍男事務所
70年も前の記憶
極端な暖冬のせいで雪のない正月を過ごしたが、やはり雪国なものだ、ここ数日の雪はこの冬初めてのまとまった雪になった、倉庫の奥から小さな除雪機にエンジンをかけて引っ張り出して庭の新雪を飛ばした。
小形の除雪機を引っ張り出して庭の除雪をした、見事に雪が飛ぶとストレスの解消になる、寒さも疲れも感じないうちに1時間が過ぎている 。
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海の釣りを夢に描いたお正月
また竿伸しを始めるとは思わなかった、もう2度とすることはないと思っていたのだ、おととしの今頃新しい水族館に引っ越すときにそのように決めて、竿を伸す「ため木」や節をくりぬいて中通しにするピアノ線などを知人に全て上げてしまっていた。
・写真上 加茂南防波堤先端で40㎝のアイナメを釣る筆者
・写真左下 浜中海岸でイサダをとる ・写真右下 針にかけたイサダ。これでアイナメやメバルが大釣れする。 |
今年仕事を離れて初めての気楽な正月を迎えて、特に決まってする事も無く少々時間を持て余す毎日を過ごしていたのだが、結局思いついたのは春になってまた釣りをしよう、それも長く止めていた、、、と言うよりは忙しくて出来なかったと言った方が的を得ているが、海の釣りをしてみたいと言う思いが強く湧いてきたのだ。
もう後期高齢者の今になっては磯の先に出て、荒波をかぶりながら竹の4間竿を振りまわして尺3寸の黒鯛を狙うのはやりたくても出来やしない、せいぜい加茂の北防波堤の先で平らなコンクリートの上から2歳ものを釣るのが性に合っている、もう無理は出来ない年になったのだ。
あそこはいつも釣り人の絶えないいわば素人の場所だが、右角に構えればテトラポットに近くなる、じっくりと時間をかけて生きた「イサダ」の撒き餌をすれば奥の方からメバルや、アイナメが出てきて食いついてくれる、5月から6月にかけては良い形のタナゴやアブラコも釣れるから、細い竿で釣れば結構な手ごたえを感じることが出来る。
イサダで釣れたメバル |
大きさも数も狙ってはいない、どうせ楽しみのために竿を出すのだから、、と思ったら、ごく細に仕上げた自作の見事な庄内竿が有るのを思い出したのだ、もう10年以上にもなるが加茂の沖の離岸堤で立て続けに黒鯛の2歳物を9枚も釣ったことが有った。
5、6月は25㎝以上のタナゴが釣れると、細い庄内竿が手元から弓なりに曲がる |
細身のカーボン竿だったから面白かったのだが、其のとき釣れた2歳は決して大きくはないせいぜい25cmだった、竿がもっともっと見事に手元から曲がり、立てようと思っても起きてこないような「特性の庄内竿」を作って、ここで使ったらさぞかし面白かろうな、誰かがその様を見ていたらとんでもない大物を釣ったと羨むに違いない、しばしののちに浮いてきたのは大した奴ではなかった、、、とびっくりさせてみたいと思った。
どこかにそんな思いを満たしてくれる竹が生えているはずだ、、、探せば見つかるだろう、、そして思い付いたのが、前に行ったときに見た記憶に有った酒田市内に有る本間美術館の竹藪だった、あそこの竹は「ニガ竹」ではなく、弓の矢を作る「ヤ竹」だった。
矢竹は節から節の間に一気に割れが入ることで嫌われて、昔から殆ど庄内竿には使われてこなかったが、割れることさえ気にしなければ材質的にははるかにニガ竹をしのいでいる。
材質が固く締っていてしかも肉薄だから、いくら見事に曲がっても魚を外せばすぐに元のすらりとした姿に戻る、そして何よりも有り難いのは軽いと言う事だ、年を取った手には何よりもこの軽さがいちばんだった。
ストーブの上に底を抜いたアルミの鍋を乗せて、正月3日から竿の伸しをしてみた |
思い出してみれば平成16年の1月だったと思う、本間美術館の知人にお願いして5~6本の竹を切らせて頂いた、長いもので3間(5,4m)短いものは10尺(3m)まで思い描いた細竿を作ることが出来た、今取り出してみると確かに握りの部分に「平成16年 村上」と銘が入っている。
竹竿の性質上作ってすぐに使えるわけではなく、3年は待たねばならないのが辛いところだ、火にかけて曲りを伸して竿にしても本来の強さが出るまでには3年、大事を取れば5年も待たねばならない、竹と言うものはそうした性質を持っている。
使いたいのを我慢しながら年に2度取り出して火にかけて蝋を塗り、癖の強いところを直してゆく、それだけ手をかけた竿をなぜこれまで使わなかったのかは大した理由が有るわけではない、3年後の平成19年から新水族館の建設計画が動き出して時間が無くなったからだった。
作ってからもう12年が経過していた、ほこりを払って継いで見ると知らぬ 間にまた曲り癖が出ていた、このままでは使えない、もう一度火にかけて伸しを入れないとしなやかに曲線を描く美しさは出てこない。
戸袋の奥の方を探ったら火伸しを掛ける「大小のため木」、底を抜いたアルミの鍋,蝋の塊、軍手やマッチなど一式が出てきた、記憶にはなかったが万一にと我が家に少し残しておいたらしい、ストーブに火をつけて穂先から伸して行った、特にする事も無い身にはこの作業がなんとも楽しいことか。
酒田市の本間美術館から採ってきたきた矢竹で作った庄内竿 |
我を忘れて没頭した、10数年の歳月も竿伸しの腕を鈍らせてはいなかった、まず2間半(4,5m)の3本継竿を伸してみた、やはり12年の時間は竹を鋼の様に固く締りのあるものに変えていた。
竹の節をくり抜く作業 |
伸し上がった姿はいい具合だった、細身だが竹の硬さが張りを持たせしっとりと手になじんできた、この竿は節をくりぬいて中通しにして手元に小型のリールをつけよう、釣り場に合わせて糸の調節をする手間が省けるし、思いがけない大物が喰い付いたらリールを緩めて糸を出すことも出来る。
手がもう一本欲しいところだが足を使って間に合わせる |
これに8寸の(24cm)メバルか尺2寸の(36cm)アイナメが食いつけば手元から大きく曲げてくれるだろう、少々無理してもいいからリールの糸を出さずにこらえて遣り取りすれば、私の心を「夢に漂う」ようないい気分にしてくれるはずだ。
もしも黒鯛の尺上でもつれたらどのようにして遣り取りすればいいのか,リ ールを緩めて糸を出すか、、、しかしこの細身ではの、、、、駄目な時は諦めるほかない、一気の突っ込みで恐らくは竿を伸されて糸切れするだろう、際限なく夢が広がっていった。
見事、節をくり抜いて竿先から出たワイヤー |
穂先を継ぎなおして節をくりぬいて中通しにした、継いだところにカシューを塗り手元に小型のリールを付けた、これで完成だった。磯タモも、イサダを捕る「三ケ月網」も作ってあった、後は春を待つのみだ。
しかし焦っちゃいけない、、、まだまだこれからが冬本番で春はずいぶん先だったな、、、、。